【真作】梅原龍三郎 額装8号 古径&岡村多門堂額装 東美鑑定付
★梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう) 本名:良三郎 20歳で渡仏してルノワールを師と仰ぎ、後に日本画と洋画を融合させた画風を完成させ、洋画の新たな様式を確立した梅原龍三郎。1888年(明治21年)京都府出身の画伯は、15歳のときに中学を中退し、伊藤快彦、浅井忠に師事しました。そして、1908年に渡仏してアカデミー・ジュリアンに学び、ルノワールに感化されてその影響を受け、5年間パリに滞在しました。帰国後に開催した滞欧作品展は、ルノワールを模した作風で注目を集めましたが、やがて日本的な裸婦を描くようになり、東洋と西洋の美の接点を追求するようになりました。また、’14年二科会の創立会員となり、’22年春陽会の創立に参加、’26年に国画創作協会に迎えられ、川島理一郎と洋画部を新設、’28年には洋画部が独立した国画会を主宰するなど、在野美術団体の基盤構築に深く関与しました。’30年頃からは、大和絵や琳派の伝統的技術を取り入れた絢爛な色彩と強靱な筆致による独自の画境を確立し、安井曾太郎と並んで「梅原・安井時代」と称される黄金期を築きました。さらに、’35年から’57年まで帝国美術院会員を務め、’42年東京美術学校(現・東京藝術大学)教授に就任、’52年に文化功労者に顕彰され、文化勲章を受章しました。その日本的な趣きを持った西洋画は、数多の人々に影響を与え、先駆者の一人として美術史にその名を刻んでいます。作品は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、茨城県近代美術館など全国の主要美術館に所蔵されています。 【略 歴】
1888年 京都府出身
1903年 京都府立第二中学校中退
伊藤快彦に師事し入塾
浅井忠に師事し関西美術院で学ぶ
1908年 渡仏(~13年)
アカデミー・ジュリアンに学ぶ
1909年 ルノワールに師事
1913年 帰国し滞欧作品個展開催(ヴィナス倶楽部)
1914年 二科会の創立に参加(18年退会)
1920年 再渡仏(ルノワール弔問)
1922年 小杉放菴らと春陽会結成(25年退会)
1926年 国画創作協会洋画部を設立
1928年 国画会発足
1935年 帝国美術院会員に就任(~57年)
1942年 東京美術学校(現・東京芸術大学、~52年)教授に就任
1952年 文化勲章受章、文化功労者となる
1953年 軽井沢にアトリエを構える
1957年 日本芸術院会員
1973年 仏コマンドール勲章授章