¥真作保証¥香月泰男4号所定鑑定書付☆画廊取扱作☆納得の名画


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◆本作には、所定鑑定人の香月婦美子・藤田士朗の鑑定書が付いています。◆本作は、飯田画廊取り扱い作品です。◆『シベリア・シリーズ』が、香月泰男の陰の部分であるならば、「魚」や「たこ」、「玉ねぎ」、「キャベツ」、「トマト」、「ハム」、「パン」など台所にある食材を描き「厨房の画伯」とも呼ばれた作品群は陽の部分と言えましょう。2012年には香月泰男美術館では香月泰男の日常をモチーフにした作品を集めた「くらし展 画家の愛した日常」が開催されました。同展覧会のポスターには本作「キャベツ」と同年に描かれた作風も同じ「卵」が掲載されています。クリック◆柔らかな色彩は、まるで幸福の象徴のようで、心温まる情景が前面に現われています。モノトーンに近い色調ながら繊細な抑揚が生まれ、視覚を介して深層に達した時、えも言われぬ陶酔感が全身を包み込みます。そして、水彩とクレヨンを巧みに使いこなし、モチーフの内部から発光しているような夢幻的な世界を展開させつつも、キャベツのフォルムが確かな実体感を与えています。独自の世界観を貫く画伯は、豊かな美意識で耽美な作品を描き出し、情感あふれる詩的な静物画を創出しました。香月泰男 「キャベツ」 27×39.3㎝ 額サイズ55×68㎝ 紙に水彩・クレヨン 左下にサイン 作品コンディション部分的にシミがあります。抑留されたシベリアを始め世界各地を描き、油彩の他、水彩、陶画、玩具など多彩な芸術表現で絶大な評価を得た香月泰男。1911年(明治44年)山口県出身の画伯は、幼少の頃から画家を志し、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋学科を受験しましたが不合格となり、改めて’31年に再挑戦して同校に入学しました。在学中はゴッホ、ヴラマンクなどの西洋画から、広重の浮世絵まで幅広いジャンルに関心を寄せました。同時に梅原龍三郎に傾倒し、’33年からは梅原が主宰する国画会に出品を始め入選を重ね、’36年には卒業制作が文部省美術展覧会鑑査展に入選しました。卒業後は北海道庁立具知安中学校に勤務しながら国展に出品を続け、’39年奨学賞、’40年佐分賞を受賞、国画会同人に推挙されました。’39年には文展で特選に輝くも、大戦が始まると満州に出兵、敗戦後はシベリアで抑留生活を強いられましたが、描くことを中断することなく、家族の元へ350通以上の直筆の絵葉書を送り続けました。復員後は、山口県立深川高等女学校の教諭を務めながら制作を続け、’49年の国展でサロン・ド・プランタン賞を受賞、この頃からフォルム画廊を中心に、全国各地で個展を開き人気を集めました。’50年には型生派美術家協会を設立、以降は数多くの展覧会に出品し、作品がロックフェラー夫人や文部省に買い上げられるなど画壇で確固たる地位を築きました。’56年に渡欧すると1年間ヨーロッパ各地を旅行し、帰国後に、国画会、サヱグサ画廊、フォルム画廊各店で滞欧作が展示されました。その後も、’66年にジャパン・ソサエティの招待で渡米したのを機に、タヒチやギリシャ、モロッコなど海外へ精力的に出掛け、各地をスケッチした連作が話題を呼び、多くの画集が刊行されました。晩年は、’68年西日本文化賞、’69年日本芸術大賞を受賞し、’71年には安井賞選考委員を歴任しました。没後の’93年に山口県長門市に香月泰男美術館が開館し、2004年には没後30年の記念回顧展が盛況を極め、現在でも衰えることなく高い人気を誇っています。作品は、東京国立近代美術館、静岡県立美術館、山口県立美術館など全国各地の美術館に所蔵されています。1911年 山口県出身
1929年 山口県立大津中学校卒業
      東京美術学校西洋学科を受験するも失敗
      上京、本郷の川端画学枚に学ぶ
1931年 東京美術学校西洋学科(藤島武二教室)入学
1933年 梅原龍三郎に傾倒し国画会に出品
1934年 国展入選(同’35、’36、’38、’39、’40年)
1936年 東京美術学枚油絵科卒業
      北海道庁立具知安中学校の美術教師となる
      文部省美術展覧会鑑査展で卒業制作入選
1938年 山口県立下関高等女学校(現県立下関南高等学校)に転任
1939年 国展国画奨学賞受賞
      国画会新人展出品
      文展特選
1940年 国展佐分賞受賞、同会同人に推挙
      紀元2600年奉祝美術展覧会入選
1942年 文展入選
1943年 応召、満州に出兵
1945年 シベリヤに抑留、セーヤ収容所に入る
1947年 復員


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