¥真作保証¥宮崎進20号裸婦☆名鑑3200万☆日動画廊取扱作
◆昨年度には神奈川県立近代美術館で「立ちのぼる生命 宮崎進展」が開催されました。クリック◆本作は、紫色の抽象的な背景に、一人の女性がデフォルマシオンされた容姿で描かれています。画面を彩る自然をイメージさせる色でさえ、無機質でドライなムードにあふれ、この世の無常を静かに伝えているかのようです。繊細な筆致は、メランコリックな印象を与える独特の風合いで、彼女の内面性を浮き彫りにしています。無表情にこちらを見つめる視線と豊満な肉体には、詩的な情趣とエロティシズムが垣間見え、見る者の深層に深く訴えかけてきます。不安定な中で微妙なバランスを保たせる事で象徴的な制作意図が打ち出され、一言では語れない重層的な芸術を創造しています。現代の洋画壇で一際異才を放つ画伯は、近年サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品するなど、精力的に活躍しています。本作は、宮崎進の留まることを知らない表現力によって命の根源に迫り、独自の画境を展開している個性的な人物画の逸品です。◆本作は、日動画廊取り扱い作品です。◆美術名鑑では1号あたり160万円という評価を得ています。20号サイズなので3,200万円となります。宮崎進 「たたずむ」 F20号 額サイズ68×81cm キャンバスに油彩 右下にサイン 裏にタイトル・サイン・日動画廊管理番号シール コンディション概ね良好日本を代表する洋画家として国内外で高く評価されている巨匠、宮崎進。1922年(大正11年)山口県出身の画伯は、郷土で絵画を学び’38年に上京、’42年日本美術学校油絵科を卒業しました。’43年に召集され、戦後は旧ソ連軍の捕虜となり4年間に渡ってシベリアに抑留され、’49年に帰還しました。その後は、’55年から光風会展と日展に出品を始め、’65年に日展特選を受賞、’67年には『見世物芸人』で安井賞に輝き、画壇で確固たる地位を確立しました。’72年に渡仏しパリにアトリエを構え、’74年に帰国すると各地の展覧会で脚光を浴びました。’81年には多摩美術大学教授に就任して後進の指導にも尽力しました。各地の美術館で開催された個展で高く評価され、’95年に小山敬三賞を受賞、’98年には芸術選奨文部科学大臣賞の栄に浴しました。以降も、多摩美術大学美術館長を務めながら旺盛に創作を続け、2004年にはサンパウロ・ビエンナーレ(ブラジル)に国別参加部門の日本代表として出品し、好評を博しました。初期の重厚なマチエルの風景を経て具象から抽象へと移行し、さらに具象に回帰した人物画やコラージュを施した独創的な技法で、芸術性の高い作品を制作しています。作品は、東京国立近代美術館、山口県立美術館、三重県立美術館などに所蔵されています。1922年 山口県出身
1938年 上京
1942年 日本美術学校油絵科卒業
1943年 召集、外地勤務を希望しソ満第四国境守備隊に所属
1945年 シベアに4年間抑留された後、49年帰国
1955年 この頃から光風会展と日展に出品を始める
1965年 日展特選受賞
初個展開催(銀座資生堂ギャラリー)
1967年 『見世物芸人』で第10回安井賞を受賞
1972年 渡仏し、パリのアトリエから欧州各地を旅する(~’74年)
1980年 山陽新幹線小郡駅にステンドグラス制作
1981年 多摩美術大学教授に就任
1984年 素描展開催(村田画廊)
1986年 個展開催「宮崎進の世界展」(池田20世紀美術館)
1987年 個展開催(徳山市文化会館)
1992年 多摩美術大学退職記念展(多摩美術大学)
1994年 巡回個展開催(95年、平塚市美術館、三重県立美術館、新潟市美術館、他)
1995年 小山敬三賞展受賞
個展開催「宮崎進展」(日本橋高島屋)
1997年 個展開催「宮崎進展」(日本橋三越本店)