真作保証 藤本能道 雪白釉赤絵徳利一対人間国宝1800万京美入手作
人間国宝・ 藤本能道の見事な瓢形徳利一対です。本作と同じ「雪白釉」の作品が東京国立近代美術館に所蔵されています。詳細をご覧になりたい方はここをクリック本作は、京都美術倶楽部の業者会で入手した作品です。私共が以前、出品致しました作品が「開運!なんでも鑑定団」に登場し、450万円という高額のハンマープライスを記録致しました(ヤフオクでの落札のなんと5倍以上)。同番組でもネットオークションについて触れられておりました。私共が出品致しました作品が同番組で取り上げられるのはこれで2回目です(前回は8倍の600万円のハンマープライス)。また、先日出品致しました作品が美術館に所蔵されました。今後とも素晴らしい作品を出品致しますのでご期待ください。(出品中の画家とは別の画家の作品です。)先日、以前私共が出品致しました西村計雄画伯の作品が、ご遺族が運営されています美術館に所蔵されました。同作は、異国の地パリで画伯が初めての個展を開催した際に出品された作品で、美術館には下絵とポスターしか残っておらず、まさに幻の一枚でした(私共でもかなり初期の貴重な作品と推定しましたが、まさかこれほど歴史的な個展に出品された作品とは夢にも思いませんでした)。ご遺族も作品に対面し大変感激されておりました。お近くにお越しの際は、画伯のアトリエも大切に残されております美術館に是非お立ち寄りください。美術館の詳細をご覧になりたい方はここをクリック最近、購入意志のない落札、いやがらせを目的とした評価が多発しております。新規および過去に取り引きのない方は、入札を取り消させて頂く場合がございます。参加ご希望の方は、ご連絡下さい。オークション終了後、弊社からは取引ナビより連作させて頂いております。それ以外からメールを送信することはございませんのでご注意ください。作家評価:美術年鑑 =1,800万円(物故工芸家) 1976年には、藤本能道は昭和天皇皇后行幸啓の際の晩餐用ディナーセット「幻の食器」を制作しました。人間国宝であり東京芸術大学学長もつとめた藤本能道、1919年東京大久保に大蔵省書記官藤本有隣の次男として生まれる。1923年関東大震災により生家の郷里高知市へ移り住み、小学4年まで高知市ですごす。1928年上京。麹町尋常小学校を経て、1931年東京府立第一中学校に入り、東京美術学校図案部に入学し1941年同部を卒業。同年には文部省工芸技術講習所第一部に入学し、翌年より同講習所講師であった加藤土師萌に陶芸を学ぶ。1942年第29回光風会展に図案「貝殻の構成」「抽象構成」で初入選。同年の東京府工芸展には陶器を出品。1943年同講習所を卒業し、ひき続き同所嘱託となった。1944年から同講習所教授となった富本憲吉に師事して、助手をつとめた。同年第31回光風会展に「赤絵花瓶」「黒釉木ノ葉皿」「黒釉上絵花瓶」を招待出品して光風工芸賞受賞。1945年勤務先の講習所が岐阜県高山へ疎開したため教授であった富本憲吉に同行した。1946年第20回国画会展に油絵「海樹」で初入選。また、同年の同展に「五染附色絵小壷」「色絵小壷(梅)」等全7点を出品するが、富本憲吉が国画会展を退会するに伴い同会工芸部が解散したため、同展への出品はこれのみとなった。また、1946年第1回日展に「色絵花瓶」を出品する。同年、富本が文部省工芸技術講習所を退くと、これに従って講習所助手を辞任。翌月から京都松風研究所に勤務し、同所顧問富本憲吉から再び指導を受けた。1947年より富本を中心に設立された新匠工芸会に参加。1948年同会会友、1949年同会員となった。1950年鹿児島県及び市商工課嘱託となって県内窯業指導に当たる。1956年京都市立美術大学専任講師となり、また同年日本陶磁協会賞を受けた。1957年新匠工芸会を退いて走泥社に参加。同年モダンアート協会展に初出品し、1958年に同協会会員となった。この頃から実用を離れたオブジェ等前衛的な試みに取り組んでいる。1962年京都市立美術大学を退いて東京芸術大学助教授となる。1963年、伝統を重視する作風に転換してモダンアート協会、走泥社を退会。その後日本伝統工芸展を中心に作品を発表したほか、1970年フランスのバロリス国際陶芸展、1971年国際交流基金主催ニュージーランド、オーストラリア巡回「現代日本陶芸展」、1983年米国のジャパニーズセラミックストゥディ展等、国際的にも活躍した。伝統的な色絵に絵画的写実を導入し、「釉描加彩磁器」の新技法、新たな作風を開拓して、1986年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。1985年から4年間、工芸家では初めて東京芸術大学の学長をつとめるなど、工芸界に指針を示すとともに教育にも尽力した。著者に『やきもの絵付十二ケ月』(1984年 溪水社)、『藤本能道作品集』(1985年 講談社)等がある。1992年没。詳細画家:藤本能道タイトル:雪白釉赤絵童と女文瓢形徳利一対高さ:各18.5㎝サイン:高台裏に銘 共箱作品コンディション:概ね良好藤本能道1919年東京大久保出身1923年関東大震災により生家の郷里高知市へ移り住む1928年上京1931年東京府立第一中学校に入学1941年東京美術学校卒業文部省工芸技術講習所第一部に入学1942年加藤土師萌に師事1942年第29回光風会展初入選東京府工芸展に陶器を出品1943年文部省工芸技術講習所を卒業1944年富本憲吉に師事、助手をつとめる第31回光風会展に「赤絵花瓶」「黒釉木ノ葉皿」「黒釉上絵花瓶」を招待出品光風工芸賞受賞1946年第20回国画会展に油絵「海樹」で初入選同展に「五染附色絵小壷」「色絵小壷(梅)」等全7点を出品1946年第1回日展に「色絵花瓶」を出品文部省工芸技術講習所助手を辞任1947年京都松風研究所に勤務富本憲吉に再び師事1947年富本憲吉を中心に設立された新匠工芸会に参加1948年同会会友1949年同会員1950年鹿児島県及び市商工課嘱託となって県内窯業指導に当たる1956年京都市立美術大学専任講師日本陶磁協会賞受賞1957年新匠工芸会を退いて走泥社に参加同年モダンアート協会展に初出品1958年モダンアート協会会員1962年東京芸術大学助教授1963年伝統を重視する作風に転換してモダンアート協会、走泥社を退会1970年フランスのバロリス国際陶芸展出品1971年国際交流基金主催ニュージーランド、オーストラリア巡回「現代日本陶芸展」出品1983年米国のジャパニーズセラミックストゥディ展出品1986年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定1985年東京芸術大学の学長就任1991年勲二等旭日重光章を受章する。1992年没所蔵/東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、その他。
オークション終了後「取引ナビ」にてご連絡致します。24時間以内にご返信、5日以内にご入金お願い申し上げます。落札金額のみで、消費税は頂きません。着払いを予定しておりますので、落札金額・振込手数料をご負担下さい。配送は作品の大きさ等の都合により私共指定の配送業者になります。本作品は真作ですので、落札後のお問い合わせご質問はご遠慮ください。貴重な作品ですので、オークション終了直前でも、出品取り消しにする場合がございます、御了承下さい。作品保証期間2ヶ月となっております。何かございましたら出品中にご質問ください。梱包は箱のないものは、エアパッキンを巻きダンボールで補強致します。また、画像はデジカメの種類・撮影状況・パソコンの環境・トリミングなどにより現物とそっくりそのままではございませんのでご了承ください。神経質な方のご入札はご遠慮ください。また、額のコンディションに関しましては個別に明記致しません。新作ではありませんし、額に関しては難がある場合があるとご了承ください。また、マット部分の対比が実物と変わりますことをご了承ください。■新規で入札ご希望の方は事前に質問コーナーよりご連絡先等お知らせください。いたずら入札を防ぐためですのでご理解お願い致します。■販売しているのは絵画そのものです。額・箱(箱付の場合)は絵を保護するための付属品であり、商品ではございませんので保険適用外となります。配送中に破損等ありましても保険は適応されません。額のイタミが画像上反映されない場合があります。ご了承ください。