真作保証 藤島武二4号少女 遺作展出品作重要文化財画家奇跡出品
私共が以前、出品致しました作品が「開運!なんでも鑑定団」に登場し、450万円という高額のハンマープライスを記録致しました(ヤフオクでの落札のなんと5倍以上)。同番組でもネットオークションについて触れられておりました。私共が出品致しました作品が同番組で取り上げられるのはこれで2回目です(前回は8倍の600万円のハンマープライス)。また、先日出品致しました作品が美術館に所蔵されました。今後とも素晴らしい作品を出品致しますのでご期待ください。(出品中の画家とは別の画家の作品です。)先日、以前私共が出品致しました西村計雄画伯の作品が、ご遺族が運営されています美術館に所蔵されました。同作は、異国の地パリで画伯が初めての個展を開催した際に出品された作品で、美術館には下絵とポスターしか残っておらず、まさに幻の一枚でした(私共でもかなり初期の貴重な作品と推定しましたが、まさかこれほど歴史的な個展に出品された作品とは夢にも思いませんでした)。ご遺族も作品に対面し大変感激されておりました。お近くにお越しの際は、画伯のアトリエも大切に残されております美術館に是非お立ち寄りください。美術館の詳細をご覧になりたい方はここをクリック最近、購入意志のない落札、いやがらせを目的とした評価が多発しております。新規および過去に取り引きのない方は、入札を取り消させて頂く場合がございます。参加ご希望の方は、ご連絡下さい。オークション終了後、弊社からは取引ナビより連作させて頂いております。それ以外からメールを送信することはございませんのでご注意ください。本作は、昭和18年10月に大阪市立美術館で開催された「藤島武二遺作展覧会」出品作品です(藤島武二は同年の3月に亡くなりました)。また、本作はかなり話題になった作品と考えられ展覧会会場で売られたと思われるブロマイドが付いています。まさに奇跡的出品ともいえる貴重作です。日本近代絵画の巨匠であり、ロマン派の祖である画伯に就いては、既に膨大な数の研究が発表され、もはや語るに多言を弄する必要もありません。白樺派の天才画家の優れた芸術性は、一人の女性に凛とした威厳を与え、味わい深い気品を漂わせています。描線はモデルの姿を力強く活写し、生き生きとした筆致が、軽快なリズムを奏でています。線描によるデッサンは、確実に対象を描写し、微かな陰影が絶妙な量感を作り出し完成度の高さを示しており、藤島武二の芸術として色褪せることのない永遠の輝きを放ちます。藤島武二の「天平の面影」と「黒扇」の2点が重要文化財に指定されています。本作はデッサンですが、参考までに油彩画の場合。美術名鑑 4号=7,600万円(物故洋画家)近代洋画の礎を築き、横山大観らと共に最初の文化勲章受章者となった巨匠、藤島武二。1867年(慶応3年)鹿児島県出身の画伯は、当初は日本画を学び、’82年四条派の平山東岳に学び、’85年に上京すると川端玉章に入門しました。’86年には東京仏欄西語学校でフランス語を学び、’90年に洋画に転向すると、曽山幸彦、中丸精十郎、松岡寿に師事し、’91年から生巧館付属画学校に通い、明治美術会に入会して作品を発表しました。’96年白馬会の結成に参加し、同年東京美術学校西洋画科新設の際に黒田清輝の推薦で助教授に就任、やがて教授を経て1918年の改革に伴い「藤島教室」を作り、以降晩年まで油画科主任として後進の指導に尽力しました。また、1905年からは絵画研究のためにフランスに留学し、アカ デミー・グランド・ショーミエールと、国立美術学校専科でフェルナン・コルモンに学びました。’07年に欧州各地を旅行した後はイタリアに移住し、フランス・アカデミー院長エミール・オーギュスト・カロリス=デュランの指導を受けました。帰国後は、’12年に岡田三郎助らと本郷洋画研究所を設立、翌年川端絵画研究所の洋画部新設に関わり、’14年には二科会結成の渦中で苦慮するも黒田の説得で官展に残り、文展・帝展審査員を歴任し、’24年帝国美術院会員に推挙されました。’28年には貞明皇后より昭和天皇の学問所を飾る絵画の御下令を受け、日の出風景を描くことを決意し、国内だけでなく東アジア各地を頻繁に訪れ、10年がかりで「旭日照六合」を完成させました。そして、’37年第一回文化勲章を受章し 、最も正統的な画家として黎明期の近代洋画壇の中核を担う存在となりました。後の画壇に甚大なる影響を与えた画伯は、外光派や浪漫主義などの作風を経て、フランスとイタリアで吸収した西洋美術と東洋文化を融合させ、豪快な中にも繊細さが冴える独自の画風を確立しました。作品は、東京国立近代美術館、神奈川県立近代美術館、茨城県近代美術館を始め、全国各地の美術館に収蔵されています。 詳細画家:藤島武二タイトル:少女技法:紙に鉛筆画面サイズ:35x25㎝額サイズ:55x44㎝サイン:左下に印章 裏に共シール作品コンディション:ヤケ・シミ等あります。藤島武二 (ふじしま たけじ) 1867年 鹿児島県出身 薩摩藩藤島賢方の三男、幼名猶熊 幼年時代から画才を発揮、北斎漫画や油絵を模写1882年 四条派の平山東岳に学ぶ1884年 洋楽を学ぶために上京するが1年ほどで帰郷。1885年 上京、川端玉章に入門「玉堂」と号する 1886年 東京仏欄西語学校入学 1890年 洋画に転向 曽山幸彦、中丸精十郎、松岡寿に師事1891年 生巧館付属画学校に通う 明治美術会入会 1893年 三重県尋常中学校助教諭に就任 明治美術会展出品 1896年 白馬会創立、会員に推挙 東京美術学校西洋画科助教授に就任1901年 雑誌『明星』の表紙担当1902年 白馬会展出品(同04年)1905年 文部省より絵画研究のためフランス、イタリア留学派遣(~10年)1906年 私立アカデミー・グランド・ショーミエールに学ぶ 国立美術学校専科でフェルナン・コルモンに学ぶ1907年 ベルギー、オランダ、ドイツ、イギリス旅行1908年 イタリアに移住 フランス・アカデミー院長エミール・オーギュスト・カロリス=デゥランに学ぶ スイス旅行中、ローマに残しておいた作品の大半が盗難される1910年 帰国 東京美術学校教授に就任1912年 岡田三郎助らと本郷洋画研究所設立 1913年 川端絵画研究所の洋画部新設に伴い、その指導を行う 朝鮮に出張 1914年 二科会設立時に革命派を支持するも、黒田清輝に説得され文展に留まる 1918年 東京美術学校の改革に伴い「藤島教室」創立1924年 帝展出品(同29、32年) 帝国美術院会員に推挙1926年 聖徳太子奉讃美術展出品(東京府美術館開館記念)1928年 貞明皇后より御学問所を飾る油絵制作の御下令を受ける1933年 台湾旅行1935年 朝鮮美術展審査員として朝鮮に赴く 文部省の帝国美術院改組に対して帝展不開催論を新聞に発表 室戸岬に赴き、台湾を再訪1936年 新制作派協会展に5点協賛出品 1937年 岡田三郎助、横山大観、竹内栖鳳とともに文化勲章受章 中国旅行 内蒙古ドロンノールで理想的な日の出と出会い「旭日照六合」完成1938年 満州国美術展覧会審査相談役 文展出品 1939年 聖戦美術展出品 東京美術学校油画科主任に就任 1942年 新制作派協会展に滞欧作を特別出品1943年 没(享年75歳)2002年 藤島武二展(ブリヂストン美術館開館50周年記念)2003年 藤島武二「天平の面影」と雪舟「四季山水図」(石橋美術館)所蔵/東京国立近代美術館、神奈川県立近代美術館、茨城県近代美術館、府中市美術館 富山県立近代美術館、新潟県立近代美術館、大川美術館、長野県信濃美術館 岐阜県美術館、愛知県美術館、メナード美術館、三重県立美術館、京都市美術館 名古屋美術館、田辺市立美術館、玉川近代美術館、石橋美術館、佐賀県立美術館 大分市美術館、宮崎県立美術館、鹿児島市立美術館、宮内庁、他多数
オークション終了後「取引ナビ」にてご連絡致します。24時間以内にご返信、5日以内にご入金お願い申し上げます。落札金額のみで、消費税は頂きません。着払いを予定しておりますので、落札金額・振込手数料をご負担下さい。配送は作品の大きさ等の都合により私共指定の配送業者になります。本作品は真作ですので、落札後のお問い合わせご質問はご遠慮ください。貴重な作品ですので、オークション終了直前でも、出品取り消しにする場合がございます、御了承下さい。作品保証期間2ヶ月となっております。何かございましたら出品中にご質問ください。梱包は箱のないものは、エアパッキンを巻きダンボールで補強致します。また、画像はデジカメの種類・撮影状況・パソコンの環境・トリミングなどにより現物とそっくりそのままではございませんのでご了承ください。神経質な方のご入札はご遠慮ください。また、額のコンディションに関しましては個別に明記致しません。新作ではありませんし、額に関しては難がある場合があるとご了承ください。また、マット部分の対比が実物と変わりますことをご了承ください。■新規で入札ご希望の方は事前に質問コーナーよりご連絡先等お知らせください。いたずら入札を防ぐためですのでご理解お願い致します。■販売しているのは絵画そのものです。額・箱(箱付の場合)は絵を保護するための付属品であり、商品ではございませんので保険適用外となります。配送中に破損等ありましても保険は適応されません。額のイタミが画像上反映されない場合があります。ご了承ください。