¥真作保証¥浜田泰介8号美女☆市場240万☆平成の襖絵師傑作
◆現代日本画壇の大家として知られる浜田泰介ですが、その豊かな世界観の礎には円熟期まで挑戦し続けた様々な技法の遍歴が指摘されます。本作品が制作された1975年には、全国各地で精力的に個展を開く一方で、画壇での地位を不動のものにした「日本百景」に着手した前後にあたり、ジャンルを超えた幅広い活動が、画家の個性にさらなる磨きをかけていったのです。その鋭敏な感性はスーパーリアリズムという時代の潮流をいち早く感知し、当時のデザイン界で流行の兆しを見せ始めたばかりのエアブラシを用いた技法で、このような斬新なタブローを描き出しました。一人の美女がこちらに振り向きながら爽やかな微笑みを投げかけます。妖艶な表情は、青系の清明な光景と鮮麗なコントラストをなし、横切る列車が彼女と風景を幻想的に結び付けます。筆致を残さない繊細な陰影表現は、凛とした顔立ちに滑らかな立体感を持たせ、大きな瞳や魅惑的な唇に瑞々しい生彩をもたらします。エアブラシによる表現は、そのリアルさ故に無機質なイメージに陥りがちですが、キャンバスの布地に輝く光の粒子は柔らかな質感を感じさせ、透明感にあふれる重層的な色彩が温かな印象を与えています。また、日本画の技法である朦朧体を思わせる蒸気の滲みや、静寂を湛えた明澄な描写には、後年の大覚寺などの障壁画群に連なる才能の萌芽が伺え、和洋の垣根を超えた画境が感じられます。本作は壮年期の画期的な画風における金字塔として、今なお清々しい魅力を放っています。◆美術市場では1号あたり30万円という評価を得ています。8号サイズなので240万円となります。浜田泰介 「旅路」 F8号 額サイズ54×61cm キャンバスに油彩 左下にサイン 裏にタイトル・サイン 作品コンディション概ね良好「平成の襖絵師」の異名を持ち、洋画家から日本画家へ華麗な転身を遂げた浜田泰介。1932年(昭和7年)愛媛県宇和島市出身の画伯は、’51年京都芸術大学を卒業し同大学院に進み、関西総合展、朝日新人展に招待され、修了後は朝日新人展、毎日ベストストーリー展などの新人展に連続で選出されました。その後、創画会に所属しましたが間もなく脱会、近代美術に傾倒して抽象画を描くようになり、その作品が巨匠ポロックの契約する大画廊のオーナーの目に留まり渡米しました。そして、スポンサーにも恵まれ巨匠ダリの知遇を受けましたが、彼からのアドバイスとして、抽象画ではなく本来の才が発揮される日本画を描くことを提言されます。’60年代後半に帰国した画伯は本格的に日本画を描き始め、その後の活躍は枚挙に暇がなく、近年は世界遺産に指定された国宝「醍醐寺三宝院」の障壁画の制作という大役を任ぜられました。琳派の様式美と平成の装飾美を融合させた百二十面の障壁画は、金やプラチナによる彩色が施された豪華絢爛なもので、画伯はこれを6年の歳月をかけて誰の助けも借りずに一人で描き上げました。さらに2001年からは「東寺観智院」の襖絵制作の依頼を受け、2003年にその完成を迎えました。作品は、東京国立近代美術館、北海道立美術館などの国内と共に、ヒューストン美術館を始めとするアメリカ各地の美術館に所蔵されています。 1932年 愛媛県出身
1955年 京都市立芸術大学卒業、関西総合展賞を受賞
1957年 同大学院修了 朝日新人展
1958年 朝日新人展 毎日ベストスリー展に連続4回選抜される(~61年)
1961年 渡米
1962年 サンノゼ州立大学ギャラリーなどで個展
1965年 今日の現代美術展に選抜される(シカゴ)
個展開催(京都美術館)
渡米
1966年 個展開催(ニューヨークギャラリー「ダッシェ」)
1967年 東京国立近代美術館出展
1972年 個展開催(岡山天満屋、ポールギャラリー、以降、毎年全国各地で開催)
1975年 朝日新聞主催「ABC現代作家展」出品
1984年 八十八ヶ所水彩画集出版記念展
1991年 大覚寺障壁画を描く
1998年 大津百景完成、大津市文化特別賞受賞
1999年 醍醐寺襖絵画完成(94年~)
2000年 個展開催(松山三越、大宮そごう、他)
2001年 個展開催(三越広島店、仙台三越、他)
2002年 東寺観智院書院の襖絵公開